新・おんがくの時間

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2016年の名盤、宇多田ヒカルの「Fantôme」について

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宇多田ヒカル。海外からの人気もすこぶる高い、日本を代表するシンガーソングライターである。発売したアルバムすべてがオリコンデイリーチャートで初登場1位を記録した所謂ミュージックモンスター。また、国内の歴代アルバムセールスの1位を以依然守っている人物でもある。多くのメガヒット曲を生み出し、その類稀なる音楽センスに多くのミュージシャンが影響を受けている彼女だが、「人間活動」に専念するとして2010年に活動を一度休止した。

 

15歳で音楽の世界に入った彼女はそこから爆発的に有名になっていったが故に、一般的な生活を全く送れずにいたようである。自分がどういう人間なのかさえわからない…この業界から少し離れて落ち着きたいという意思が強かった彼女は、一度音楽から身を引く決断をしたのである。 

 

「今まで音楽ばかりやってきたし、流れをいったん止めたい、音楽以外のことをして成長したいという気持ちで発信した『人間活動』だった」

 

(引用元:「SONGS」 宇多田ヒカル

 

それから彼女はライブ活動を休止し、特例としてシングル「桜流し」を発売したりすることはあったものの基本的に音楽活動はほぼ行われていなかった。「宇多田ヒカル」としてではなく、一人の女性として人生を再び始めたようなものだったのだろう。その期間は自分の歌を歌うことは全くなかったそうだ。

 

そして2016年、4月4日を皮切りに音楽活動再開を発表。そして、前作『HEART STATION』から約8年半振りに6枚目のアルバム「Fantôme」を9月にリリースした。もちろんオリコンデイリーチャートで初登場1位、第58回日本レコード大賞・最優秀アルバム賞も受賞した。音楽に再び向き合い始めた彼女は、最高のスタートを切って見せた。日本は宇多田ヒカルを必要としていたのだ。

 

 

 

「Fantôme」と母・藤圭子

 

各方面から名盤だという高評価を多く受けているこのアルバム。タイトルの意味はフランス語で「幻」や「気配」だそうであり、読み方は「ファントーム」である、ご承知いただきたい。実はこのアルバム、2013年に亡くなった宇多田ヒカルの母である藤圭子への捧げるという意図を込めた作品であるとされている。藤圭子と言えば、1970年代に活躍した演歌歌手で、女性にしては特徴的な低くハスキーな歌声が私の耳にも印象的に残っている。

 

母・藤圭子の死因は投身自殺だった。後に宇多田本人が語っていたが、藤圭子は重い精神的な病を患っており、それに長い間苦しんできたようである。本人の意思で、治療もあまり行うことなく悪化の一途をたどっていったという。

 

精神病を患うと、人が変わったように性格が豹変するものだ。まるで今までとは別人のようになってしまうケースは多い、藤圭子もそうだったのかもしれない。しかし、どんな人物だとしても、彼女にとってはたった一人の母親が自殺という形でこの世から去ることは推し量れないほどの悲しさや悔しさがあったことだろう。2年後に生まれた孫の顔も、見せることは叶わなかった。

 

母の死、結婚、出産。人生の多くの転機を越えて、宇多田ヒカルは新たなアルバムをリリースした。このアルバムの楽曲には節々に「あなた」「君」という単語が登場する。歌詞の文脈から憶測するにこれは間違いなく母・藤圭子のことだと思っていい。タイトルの意味である「幻」のように、宇多田ヒカルは母の幻に今も囚われているのだろうか…?

 

いや、私はそうは思わない。決して彼女は母の死を引きずっているのではなく、死を理解し、新たに歩き出そうとしていると私はこのアルバムを聴いて解釈している。それでは、私の個人的に印象に残った曲を聴きながら、この作品について私が感じたことをつらつらと書き連ねることにする。

 

 

 

 

 

花束を君に

 

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NHK連続テレビ小説とと姉ちゃん」の主題歌になった、復帰第1作のこの楽曲。歌詞は、母・藤圭子葬儀をイメージしたように考えられる。棺に入る母の、最近は見ることのなかった綺麗な薄化粧の姿。言葉をかけたとしても、もう届くことは無いから、その代わりに綺麗な花束を手向けることしかできない。そんな情景を思い浮かべると、いつかは自分にも起こることなんだと想像してしまい、胸が痛くなる。

 

自分を産み、惜しみない愛を捧げてくれた母。最期の姿より、笑っているあの時の母ばかりが脳裏に浮かぶ。自分が母になった今、改めて感じる母の偉大さ、大切さがこの歌を通して伝わってくる気がする。宇多田ヒカルの母への想いがしっかりと刻まれた歌になっているのは間違いない。

 

この歌のメロディはとても清く美しいイメージを持った。昔の宇多田ヒカルというと、ゴチャゴチャしているかと思いきや耳に残るキラーフレーズが散りばめられていたり、あの時代の独特のノリがあったり、若さも相まって楽曲自体がキラキラと輝いていた。しかし、このアルバムの曲たちはまったくその雰囲気は無い。何も手を加えていない、自然のままの、むきだしの宇多田ヒカルそのものを表しているかのような曲ばかり。むき出しであっても決して刺々しくはない、愁いや虚しさを内包する彼女の深い部分をさらけ出しているからなのか、その歌声やメロディは耳にではなくもっと深くに取り込まれていく感覚がある。「花束を君に」における、宇多田ヒカルの静かな”叫び”もあまりに純粋すぎて、切ないものに感じる。

 

 

 

俺の彼女

 

 

この曲は動画がないのでご了承いただきたい。しっかりアルバムを手に入れて、聴いてもらうことをお勧めする、もちろんヘッドホンで。個人的にサウンド的にはこのアルバムで一番好きな曲かもしれない。しかし、初めて聴いた時は途中まで強い印象を持たなかった曲だった。ベースが前面に押し出されたジャズっぽさがにじみ出る曲だなあというくらいにしか思っていなかったが、この曲全体を聴いてみた後は思わずため息が出てしまった。1曲の中にここまで物語性に溢れたサウンドを入れ込みつつも、歌い方を所々使い分けているのには流石の一言しか思い浮かばなかった。数分間だけで異様な満足感を得ることができた。

 

特に終盤にかけてのストリングスの盛り上がりには正直鳥肌が立った。もちろんこれは、序盤の静かでジャジーな展開が布石となっているわけだが、サウンドは壮大でいて歌声は吐き出すように優しい、そのギャップがまた心地よい。宇多田ヒカルの音楽センスが惜しみなく使われた作品だと捉えている。

 

ちなみに歌詞は男女の関係を描いたものだと思ったのだが、何処からヒントを得た作品なのだろうと考えながら歌詞を眺めているうちに、ふと仮説を思いついた。これもまた、母への歌なのではないかと。少し強引すぎるかもしれないが、俺(宇多田ヒカル)が彼女(藤圭子)の女性としてのイメージを娘目線ではなく、第三者目線で書いた歌詞だと考えて読んでみると、それはそれで興味深かったりする。…ただ、これに関してはひねくれて考えずに男女の関係を表した曲だという解釈が正しいのかもしれないので、この説はあまり強く主張しないでおく。

 

 

 

 

真夏の通り雨

 

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先ほどの「花束を君に」と同様、母への気持ちを前面に押し出した歌詞の曲である。歌詞が少し感情的になっていることや、焦りや戸惑いがうかがえる言葉が見られることから、母の死を理解しきれていない状況から抜け出そうともがく様を描いていると考えられる。

 

突然この世から姿を消した母には、聞きたいことや言いたいことがたくさんあったはずだろう。”サヨナラ”と言ってしまえばそこで区切りがついてしまう気がして、それが怖くてできずにいる状態はとても苦しく、もどかしいだろう。家族がいるから、独りぼっちではない、けれど母への想いは通り雨のように突然、心に訪れる。いつまでも止まない通り雨が。

 

しかし一方で、母はいつまでも過去を振り返る娘を果たしてどう思っているのだろうか。娘には愛する家族がいて、これから先もまだ長い未来が待っている。母という形無き幻影からは自由になるべきなのに、やはり母以外で彼女の渇きを埋めるものはない…。

 

 

歌詞を意識して聴かずとも、曲のメロディだけから悲しさや虚しさが痛いほどに伝わってくる1曲だ。このアルバムではヴァイオリンを中心としたストリングスが大活躍しているが、この曲の荘厳な雰囲気づくりにも一役買っている。…ただ、なんとも美しい楽曲ではあるのだが、どこか無機質さや粗さを感じるのは私だけだろうか。もちろん良い意味での、である。この歌の裏側には、なりふり構わず荒れ狂う感情のままを歌に込めた宇多田ヒカルの姿が垣間見える時がある、私にはそんな気がするのだ。

 

 

 

 

 

長くなりましたが…

 

 

常に日本の音楽シーンに革命を起こし続け、先頭に立ち続けた革命児、宇多田ヒカル。彼女は音楽を商品というツールではなく、感情や自分という存在をぶつける場として昇華していっている気がする。過去の音楽ももちろん素晴らしいが、今の彼女の音楽はより「宇多田ヒカル」としての作品として確立されていくようなものになっている。

 

様々な経験を経て、娘から母となり「人間」として成熟しつつある彼女の音楽は今後もますます変化を見せていくだろう。そう、まるで人生がいくつもの変化を見せていくように。

 

 

 

追記:たったの3曲であほみたいに長く書いてしまった。果たして最後まで読んでくれた方なんているんだろうか…笑。